1. いいね~

驚異の同じ町2連泊。1日の移動距離3Kmと、コレまでにない記録を打ち出しました(笑 こんなときは精神的に参ります。昨日は墓地の軒下に間借りしました。もう、雨風しのげて適度に安全なら、どこでもいい感じがしてきています(苦 しかし野外はどこでも同じですが、ものすごい数の蚊が襲ってきました。コレを防ぐためにタープをかぶって寝たのですが、コレがまた昨夜の水分を含んでいてベタベタ。けれど蚊に刺されるよりはマシ、と割り切り、頭からかぶって寝ます。何やってるんでしょうね全く。


明け方、夢を見ました。久々に父の夢です。亡くなる前に来ていた朝の服と、帽子をかぶり、杖を突いて片足を引きずるように歩いていました。夢の中で、父に車で学校に送ってもらい、「ここから先は自分で行きなさい」的なことを言われて、何か言葉を交わしたような気がしますが、よく覚えていません。大学院まで通わせてもらい、挙句に仕事やめて世界一周してるなんて、親不孝でしょうか…。ですよね…。

朝6時、墓地に別れを告げてヒッチ開始。しかし今日もHWに現れる車は見慣れた顔ぶればかり。もうこれ以上ここで時間を消費するわけにも行かないので、今日のヒッチは10:00までと決めていました。その結果やっぱり拾ってもらうことはできず、仕方ないのでテナントクリークからアリススプリングスまではバスで移動することを決心しました。今日予約して、乗車は明日の日中というパターン(つまり、ここでもう一泊)を覚悟して、グレイハウンドのバスセンターに向かいます。昨日の散策で看板は見えていたのでそこに向けて歩いたのですが、どうもカウンターが開いていない。というより、グレイハウンドのステッカーが張ってあるだけで、実はここ、電気屋さんじゃないの!?ということで、あわててあたりを見渡すも、それらしい表示が出ていない。

困ったときのインフォメーションセンター、ということで、町のインフォメーションを探しますが、コレがまた中心部から1.5Kmも離れてて、インフォメーション“センター”じゃないのかょと、思いつつ重いバッグを引きずって歩きましたょ1.5Km。しかも結構丘の上(滝汗 センター受付のおばちゃんに「かばん持ってここまで来たの!?」と、あきれられました。このセンターは、どうやら町の歴史資料館を兼ねているようです。テナントクリークという町はその昔、金が掘られていたそうです。このセンターで、バス停の位置やブッキングの仕方を教わり、挙句の果てにはまた町まで戻るのに、車で送ってもらったりしました。お世話になり通し(汗 結局、バスセンターは最初のステッカーが張ってあった場所から2~300mのところにありました。車で送ってくれたおいちゃんが、バスセンターのお姉さんにいきさつを話してくれたおかげで、ブッキングもスムーズ。有難やぁ~。この辺の対応は日本じゃちょっとない感じ。暇なのもあるんだろうけどね。バスの時間は午前3時20分(汗 こうなったら寝ずに待ちまっせ!

今日はもうひとつ気づいたことがあります。それは旅に出た理由。僕は僕の人生のネタがほしかったのだと思います。誰に話しても楽しめるネタが僕にはない。僕の周りの人はそれなりに酒の肴になる話をいろいろ持っているのに、僕にはそれがないことをここ5,6年感じていました。それを集めるために旅に出たのかもしれません。それと、僕はコレまでの人生で“本当に困った”経験をしたことがありません。なので、そんな状況で人に助けられたことが無いので、その有難さが分からず、逆に人に親切に接することができませんでしたし、その大切さも知りませんでした。しかし、現にオーストラリアではたくさんの人に助けてもらって、冒険もしたし、ありがたい経験もできました。これから先も、おそらくたくさんの人に助けてもらうことになると思います。コレで2週間なのですから、これから先、もっとたくさんの人のお世話になると思います。日本に帰るころには僕の性根も幾分まともになっていることと期待しています(笑

2/24 雨に祟られる日々 テナントクリーク→アリススプリングス1

激しい雨の音に良く眠られませんでした。おまけにテントを設営した場所がどうやら水溜り地帯で、テントのしたがぬかるんできました。おまけに結構な風も吹いてきて、なんだか3重苦(苦笑 幸いテントの中に浸水はなく、夜明けを迎えることができましたが、ヌルヌルの地面と格闘しながらテントを撤収しなければなりませんでした。荷物の雨対策に、すぐ近くのロードハウスでビニール袋を探すも売っておらず、店員に尋ねると、奥から店で使う用のゴミ袋を分けてくれました。サンキュー。雨の中の点と収容は1時間くらいかかりました。これから先雨天時のテント張り、メンドクサイですね。

この、ロードハウスは町の入り口にあり、トラックも止まるようなので、ちょうどいいと思いあきスペースでヒッチ開始。時刻は7時くらい。しかし雨と格闘しながらのヒッチもむなしく、通る車は地元企業に向かう車ばかり。10時になっても拾ってもらえないので町の出口に移動することにしました。しかしこの移動の途中にもスコールに会い、商店街の軒下から動けません。雨の中の移動をしようと、いい塩梅になるよう荷物を出したり入れたり。雨合羽を着たり脱いだり…。モタモタモタモタしてる間に、何台かの車が目の前を通り過ぎていく…。あぁ、この中のどれかがアリススプリングスに向かう車だったらどうしよう…。と、焦りばかり募ります。

で、結局、町の出口に着いたのは11時過ぎ。ここから先の旅程についてちょっと皮算用してみたところ、これからすぐに拾ってもらえたとしても、日程的にちょっとお得感に欠けるような気がします。3/12にはシドニー空港に確実に居なければならず、できれば3/11にシドニー入りしたい。残り15日しかないけれど、大丈夫?>自分(汗





長い時間車に拾ってもらえないとき、自分の態度とか独り言を改めて考えると結構面白いというか、考えさせられる。止まってくれないことに腹を立てたり、スケジュールの心配をしたり。そもそも、車の持ち主は僕のことなど本来どうでもいいのであって、その人たちに向かって悪態をつくなんてヒドイ。乗せてくれることのほうがむしろ有難いことのはずで、ここまで調子よく拾ってもらってたから、この調子で通せると思ってた。ここまでコンスタントに500Km以上/日で移動できていたのはかなりラッキーなことで、よくもまぁここまで、拾い続けてくれたものだと(笑

テナントクリークでは、通る車がどれも地元企業の車ばかりで、結局18時まで粘ったけれど、拾ってもらえませんでした。何度も目の前を通る車はいつも同じ。どうやら何度も往復しているようです。いったい何の仕事なんだろうか…。もしかしたら立っていた場所が悪かったのかもしれません。その場所は地元の墓地の前(苦 立っている間、何度も雨に降られ、良いとなしな一日でした。(大チャンスです!!!!!)

2/23 皮膚がんについて キャサリン→テナントクリーク

この夜は雨が降り通しでしたが、公民館の軒のおかげで濡れることはありませんでした。明け方には雨も上がり、6時前にまずはキャサリン南部の外れに移動しました。

6時にヒッチ開始。“この時間に拾ってもらえれば、もしかして今日中にアリススプリングスもアリエルカモ!?”と、思っていましたが、大アマでした(泣 キャサリンは交通量の割りに車がとまってくれません。6~9時の通勤ラッシュが終わると行きかう車は空軍関係の車ばかり。停車する様子はまったくなく、そのまま11時になってしまいました。途方にくれていると、11時ごろ、マイクさんが止まってくれました。この先のトラック検査場に連れて行ってくれると提案してくれました。3Kmほど前進です。“バーニーさんの例もあるのでトラックが止まるところであれば可能性があるかも”と思い、この提案に乗っかりましたが、トラックが全然居ません(汗 さて、ホントに困ったことになってきた。町から離れたため、水の入手が困難になってしまい、またテントを張る場所も見当たりません。ちょっと絶望感に浸りつつ小一時間その場で粘って親指を立てていると、一台のいい感じにボロイ車が止まってくれました。コレまでの経験上、コレくらいのボロさの車は長距離移動者なことが多い。聞けばやっぱり、ここから600Kmほどのテナントクリークにいくといいます。ヨッシャー。



運転手のダランさんはコックだそうで、ケアンズで働いているそうです。休みでオーストラリアの北東部を回り、この中央縦断道を通ってまた東に戻るのだそうです。聞けばオーストラリアで西側は砂漠ばかりでつまらない。いくなら東でしょう(笑 と。ま、次に来たときには是非(笑 ダランさんは学生時代、水泳の選手だったそうで、結構強かったらしい。が、病気のせいで断念せざるを得なかったそうです。
その病気は皮膚がん。
話には聞いていましたが、実際生で見ると痛々しいものがありました。ダランさんの肩口もがんの切除跡がたくさんありました。腕にもいくつか腫瘍があるようで、そのうち腕を切り落とさないといけないのだそうです。オーストラリアの皮膚がん発生率の高さはテレビなんかでよく聞く話ですが、それを生で感じさせられました。

今日の旅も雨を追いかける(られる?)旅になりました。頭上にはずっと雨雲があり、頭が重たい感じです。テナントクリークにつくころには19時を回っていましたが、雨も降っておらずそれほど暗くはありませんでした。コレ幸いと、テント設営場所を適当に見つけて張っていたところ雨がぱらついてきました。“あーもー振ってきた”と、急いで荷物をテントに放り込み、ものの10分ほどで本降り…。んー、オーストラリア中央部はもっとドライなところだと思ってたんですが…。

2/22 出発の朝 ダーウィン→キャサリン

今日は朝出発のつもりだったのだが、バーニーさんの仕事の都合で、出発は午後。なので「15時までは好きにしててくれぃ」といわれました。みんな学校やら仕事やらで、家には僕一人。ずいぶん信用されたものです(汗

まずは溜まっていた日記の電子化をしました。電源があるところというのも貧乏旅行では貴重です(笑 オーストラリアでインターネットを使うには、コストが高くついていやな感じです。誰でもつなぐことができるHOTSPOTがある日本が恋しい(笑

次に、バーニー家の皿洗い。コレだけじゃ恩返しになりませんが、誰も洗わないのでカトラリーが全部使い果たされていて、水を飲むのも困る状態だったため、自分が使う分だけ洗うのもヤラシイかなと。いうことで全部洗いました。丸2日分溜まっていたので、洗い終わるのに小一時間ほどかかり、終わったころにはお昼になっていました(汗

勝手に冷蔵庫を漁って(だってそうしないと昼食ないんだもん)、サンドイッチを作って食べてると、キャシーさんが帰ってきました。「子供たちがいないと静かでしょう?」と。はい、静かですね~。

昨夜からずっと雷がゴロゴロいってて天気が不安です。ざっと降ったら晴れると思うのですが、ずっと降りそうで降らない雲行きでした。

午後はスペイン語の勉強をしました。とりあえず必要そうな会話や挨拶から覚えようと思います。バス停やトイレの在処の尋ね方。安宿の探し方など、やればやったで、英語と比較できて面白いのですが、やっぱり暗記は苦手なようです(汗 

16時、ようやく出発のときが来ました。が、行きたくない!驚愕の3連“民泊”で、すっかり怠け癖がついてしまい、ヒッチの旅を再開できるか心配になってきました。ピックアップトラックでルーさんがHWまで送ってくれると、そこにはバーニーさんのトレーラーが止まっていました。今回は積荷に車が乗っかっていました(笑 ホントに何でも運ぶんだなぁ。バーニーさん用の食料を積み込むと、トレーラーはゆっくり発車しました。「あー、もうここには帰ってこれないんだなぁ」とおもうと、いっそう離れたくなくなりました。

トレーラーは一路キャサリンへ向かいます。キャサリンはブルームへの道(西)と、アリススプリングス(中央)へ向かう道の分岐点です。車中、バーニーさんに「日本に来ることがあれば連絡をください」と実家の電話番号と、メールアドレスを手渡しました。バーニーさんは「日本にはトレーラーではいけないなぁ」とか言われましたが、ホント、日本に来たら、滞在のための手助けは全部やったげたい(笑 まさか、こんな内容の会話をすることになるなんて、日本を出るときには思ってもいませんでした。

道中、激しいスコールに見舞われ通しで、雲のある方向に道が続いている気がしてなりませんでした。雨を追いかけて車は進みます。



キャサリンにつくと雨は降っていませんでしたが、午後20時。あたりはすっかり暗くなっていました。バーニーさんと別れ際に、パンと缶詰、カップラーメンとコーラを分けてもらいました。ほんとにいい人だったなぁ。こんな人たちが世の中にはいるんだなぁ。顔は怖いですけどね(爆  3日ほど前からずっと咳きをしていたのが気になります。早く良くなるといいですね!

さて、今夜の寝床ですが、街中で降車したためテントを張る場所は見当たりません。町の地図を把握したかったのでインフォメーションセンター(もちろん閉まってます)を探します。が、ここにちょうどいい感じの広場がありました。安全そうなこともあり、ま、ここで夜を明かしても大丈夫だろうと、陣を張っていた。すると、30分ほどして一人の今風の格好(装備?)をしたアボリジニが近づいてきます。オーストラリアに来て2週間過ぎますが、アボリジニの平均の格好から考えてこの人の格好はちょっと変。

“コイツハアヤシイ”

すぐに警戒態勢に入ります。が、実は良い人かもしませんので、一応世間話には付き合います。いつもどおり、「どこから来た」から始まり、「仕事は?」「今なにしてたの?」「今夜の寝床は?」と話が進み、僕がバックパッカーズを探してることを言うと、「すぐそこにあるょー」と。“んー、僕は今夜ここで夜が明けられたらそれで良いんですが。できればほっといてほしいんですが。ラッキーなのかアンラッキーなのか…、どうやったらこの人居なくなるんだろう”と、考えていると、「お前独身か?」と聞いてきます。彼女は居るけど「独身です」と答えると、「うちの妹要らんかぇ」ときた。“ワァワァ、ほら来た!要らんわボケ”と、もうメンドクサイモード全開です。すると、彼氏は大声で道を挟んだところにいる(のであろう)自分の妹を呼び始めます。バーニーさんに教わりましたが、日本で習う「No、 Thank you.」は、かなり上品な言い方のようで、こういう輩にはまったく効果ありません(笑 仲間を呼ばれたら余計メンドクサくなりそうな空気だったので、速攻荷物をまとめ、とりあえずその場を離れることにしました。コレまでの経験上、アボリジニはアグレッシブに破壊活動や、恐喝を行うようなことはない印象です。が、どこの人種でも夜中に酒飲んで出歩いている人にまともな人は居ないということですね…。

歩くこと15分ほど、街灯がなくなってきてしまい、挙句雨まで降ってきます“ええぃクソゥ!!”と悪態も自然にもれ始めたころ、町外れに?)があり、誰も居ない感じ。コレ幸いと思い、ちょっと雨宿りのつもりで軒下に入ると、コレがいい感じにとおりから見えず寝られそう♪さすがに雨も土砂降りなので、誰も来ないだろうと確信して、ここで夜を明かすことにしました。

2/21 ジャングルツアー ダーウィン

今日はバーニーさんの計らいで、キャサリンにあるラムジャングルと、リッチフィールドというところに遊びに行きました。

まずラムジャングル。その名の通りジャングルです。ここは19日にダーウィン入りしたとき、バーニーさんが入り口を教えてくれていた場所で、とてもきれいなところだと教わっていました。雨季にはカヌーで川遊びができるらしいです。途中、面白い蟻塚が並ぶ平原を見せてもらいました。平らな蟻塚がきれいに南北を向いていて、たくさん並ぶ姿はお墓のように見えます。




昼食はお昼の場所はキャンプ場で、バーベキューとか料理ができる施設がサイトごとに設置されているところで食べました。サンドイッチです。鶏肉、トマト、チーズ、コンビーフ、好きなものを挟んで食べました。ビールもたらふくいただだいて、幸せ♪




大きい滝があり泳げます。滝つぼで泳いだ後は山道をトレッキング。小一時間ほど歩きました。トレッキング中はフルーツバットがいたり、でかいクモがいたりで、ジャングル気分を味わえました。ダーウィンはオーストラリア西部では考えられないほど、水が豊富で生き返ります。熱帯雨林です。

リッチフィールドではバーニーさんのピックアップトラック(4駆)に乗って、ダートを走りました。途中、川の推量が多すぎて引き返すことになりましたが、ホントに楽しかったです。ホントは違法らしいですが、ものすごいビール飲みながらのダートでした(汗 4駆は結構遊べることがわかりました。推量が多くても川が渡れるような車に興味がわきました。日本に帰ってお金がたまったらほしいものがまた増えました(汗 バーニーさんは何でも運転できるらしい。バイクも列車も(!)






帰りの車中でシャワーに会いました。こりゃホントに外にいたらエライ目にあいます。これからまだまだ先が長い旅だけど、雨対策をちゃんと考えたほうがいい気がします。ダーウィンはこの時期一日一回は土砂降るみたいですが、ほかの国でもこんなことがないとも限らないし。次の南米は3ヶ月の長丁場。そろそろ装備を再考したほうが良いかもしれません。

今日のディナーはフライドポテトにチキン。食えるときに食っとけ(笑 ということで、たくさん肉をいただきました。
子供たちとお休みを言った後、折鶴を作りました。バーニーさん、ルーさん、キャシーさん、ジェイクくん、テイラちゃんに一羽ずつ。
本当にお世話になりました。

2/20 お金が卸せず困るの助 ダーウィン

テイラちゃん、土曜ということで超早起き。で、うるさかったのでルーさんに怒られる。庭で10時くらいまでバーニーさんとお話。というか、バーニーさんが一方的に話しているのに相打ちを打ってただけなんだけど(汗 バーニーさんのルーツはどいつらしい。「もともとジプシーだから、一箇所にとどまる仕事は向いてないんだよね」というような話をしてました。一通り話をし終わると総出で蛇の世話。蛇でかいょ…。








今日はダーウィンの町に出てカカドゥツアーの予約をしようと思うことをバーニーさんとルーさんに言うと、ダーウィン市内までバスの使い方を細かく教えてくれた。もし迷ったら電話しなさいと。メモしてくれました。ホント、いい人たちです。バーニーさん、ルーさん曰く、カカドゥはあまり面白くないらしい。「壁画があって、ワニがいるだけよ?」と。というわけで、キャサリンにあるジャングルに行かないかと提案されました。「カカドゥツアーに100ドルも払うより無料で楽しいほうが良いでしょ?」と。そりゃそうだ。というわけで、明日、家族総出でジャングルに遊びに行くことになりました。ホントに面白い家族です(笑

せっかくバスの乗り方も教えてもらったので、ダーウィンまで出てみました。まずは巡回バスでパーマストンのターミナルまで行き、ダーウィン市内行きに乗り換えます。乗り換え時間までまだ30分ほどあったので、近所のスーパーで買い物をして、外に出てみると土砂降りのスコール。煙って前が見えません。



15分ほどで止みましたが、荷物を抱えていたら、この雨は脅威ですね…。で、バスの時間もあったので、急いでバス停に行くと、すでにいない。僕の時計ではちょうどいい時間のはずなのですが、よく見るとバス停にかかっている時計では5分すぎている…。どうやら乗り遅れたようです。土曜日ということでバスの本数も少なく、ここで1時間待たされることになりました。帰りの移動時間を考えると、ダーウィン市内に滞在できる時間は3時間ほどになってしまいました。

ダーウィン市内では始めてお金を下ろしてみることにしました。適当なATM(+plusのマークつき)を見つけてカードを挿し、暗証番号を入れてみたのですが、なんかうまく下ろせない。何度やってもダメ。ATMを変えてみてもダメ。挙句の果てに、カード会社へ電話しろとの表示。電話ってまた、ハードルの高いことをおっしゃる…orz。カード自体の機能は生きていることは、日本を発つ前に確認済みだったので、キャッシング機能だけの問題と推測。けど、現金がないとバスにも乗れないし。

こりゃマイッタぞ。

手持ちのお金は20豪ドルと、7000円だけ。このままお金が下ろせないとなると、世界一周どころかオーストラリアから出ることすらできなくなってしまう(滝汗 とりあえず、緊急事態と判断して、近場にあった両替屋で、なけなしの日本円を豪ドルに変換。この手数料が結構高くてびっくりだったが、とりあえず現金がないと国際電話もかけられないと思い仕方なく。ここで、近場の公衆電話を見ると、クレジットカードでの支払いができるようで、トライしてみることに。なんどかトライアンドエラーを繰り返した挙句、日本のカード会社に繋ぐことに成功。

まずはメインに使おうと思っていた東急TOPカードに聞いてみると、「海外でのキャッシングは別に申し込みが必要で、これからやるには審査がありくます。」とのこと。キャッシングって国内と海外でシステムが違うなんて知らないし。今更知る(汗 無職なんでコリャダメだなと。

コリャ、東京三菱UFJのほうも同じシステムだったら、本格的に困るぞ

と思いつつ、サーポートに電話。するとこちらは国内外ともにキャッシングできるようになっているとのこと。助かった!!!がしかし、キャッシングのための暗証番号がわからない。設定したはずだが、当時はキャッシングなんて使う積もりなかったんで、適当なものにしたんだろうな。ということで、実家に封書で送ってもらうことに。後日実家に電話すれば良いと思う。

ということで、ダーウィンではATM問題、国際電話問題、挙句の果てにもう一度シャワーに会い、ほとんど街を見て廻る事ができませんでしたとさ。

2/19 面白い旅になってきました 期せずして初の民泊!! キャサリン→ダーウィン

キャサリンでの集荷のため、6時には行動開始です。鉄道の積降場で係りの人とコーヒーをご馳走になり、朝日を拝んでからダーウィンに向けて出発して、12時ころ到着しました。道中「ダーウィンには何日滞在する?」という話になり、「3,4日かな」と答えると、「じゃ、うちに泊まりなよ」と。ナントダーウィンまで乗せてもらった上に宿まで確保できました(汗 ちょっと話しウマすぎね?大丈夫かしら?

ダーウィン郊外の、パームストンというところで、バーニーさんの奥さん(ルーさん38歳)と一番シニアの娘さん(キャシーさん23歳)がピックアップトラックで待ってました。バーニーさんはトレーラーを会社にもどしに行き、僕はピックアップトラックに乗ってバーニーさんちに行くようです。車中、ルーさんとキャシーさんは超ハイテンション(笑 ルーさんとキャシーさんは法律上親子ですが、血がつながっていない上に年が近いので、話が合うようです。市中数箇所で用事を済ませバーニーさん宅に到着。話に聞いていたとおり、玄関にはバッファローと牡牛の頭蓋骨のオブジェがかかっていました。



お宅に入る入ると犬猫蛇(!)がお出迎え。どのペットともにいい味を出してます。



僕が荷物を居間に置いて“借りてきた猫モード”でいると、ルーさんが着替えて出てきました。バス教習の教官を仕事にしているそうで、パリっとしてました。で、ダーウィンのショート観光ガイドをしてくれるということで、一緒に車に乗り込み、ルーさんの仕事場へ。ところが、ルーさんの仕事場で何かトラブルがあったらしく、その処理のために車はいろんなところをクルクル巡り、観光はキャンセルされました。ま、パーマストン内をくるくる周れたんで面白かったですが…。途中、ルーさんと入れ替えでバーニーさんが運転して帰りました。バーニーさん宅でサンドイッチをご馳走になっていると、子供たちが学校から帰ってきました。ジェイクくん(10歳)とテイラちゃん(6歳)。悪戯で怒られてばっかりですがぜんぜん凹みません(汗 テイラーちゃんの自転車の練習に散々つき合わされました(汗



夕食には、バーニーさんが料理した魚のムニエルをいただきました。バーニーさんは料理が趣味ということで、コレがまた、とてもおいしかったです。ビールもたくさんご馳走になりました。

ダーウィンでは“カカドゥツアー”が良かったと、ブルームで一緒だったアキオさんが行っていたので、このツアーに参加しようと思っていました。今日はツアーの予約をしにダーウィン市内まで出ようと思っていたのですが、夜になってしまったので明日(土曜日)予約の明後日(日曜日)ツアーに行こうと思います。

2/18 初トレーラー!! ホールズクリーク→キャサリン

今日は面白い旅になりました。

まず、ホールズクリークでの朝。テントの外は大量の蚊。5時半に動き始めて、6時ヒッチハイクを開始しましたが、R1を通る車がまったくありません。あまりに暇だったので、思ったことを2つほど。

1.自分じゃなくていいと思うことほど、やったほうが、面白い結果をえられる
2.冒険はあきらめたところで終わる(登山家:野口さんの言葉)

結局、6時からヒッチ開始して、10時半(4時間半後)に拾ってもらいました。コレがなんと、初のトレーラー!!トラックは保険の関係で乗せちゃだめなんじゃぁ…。



運転手はバーニーさん。チッコイおいちゃん52歳。とても若く見えます。ダーウィンまで戻るところだから乗せてくれるっていうことで、うぉチョーラッキー!!! 明日の朝にはダーウィンで「朝食が食えるぜ」ってことで、ブルーム-ダーウィン間(1870km)の想定4~5日してたのが、2日でたどり着ける勘定に成ります。

バーニーさんは週に一度、ブルーム-ダーウィン間で荷物を運んでいるそうです。僕はコレまでいろんな車に乗せてもらったけれど、結構仕事関係の車に乗せてもらえます。オーストラリアは車がなければ何もできません。仕事はもちろん、買い物だって、街中でなければ、車がないと満足にコンビにすらたどり着けない印象です。ヒッチハイクで車に間借りすると、オーストラリアの生活の中身がモロに見えてとても面白い。社会見学してるみたいです。ツアーじゃありえんですね。





途中のロードハウスでハンバーガーをご馳走になりました。久しぶりの肉!!オージービーフ100%で、バーニーさんのお気に入り。コレがまたチョーうまかったです。ハンバーガーができるまでの間15分ほどありましたが、バーニーさんは店員の娘をナンパしてました。若い(笑

朝6時にキャサリンで集荷だそうで、鉄道の荷物積み下ろし場の近くで車中泊です。バーニーさんはトレーラーに付属の立派な寝室で寝ます。やっぱ大陸を何千キロも行ったりきたりするトラックは設備がすごい。まるで1ルームマンションのようです。エアコン、テレビ完備。車外にシャワーまで出ます(笑 僕が寝るところは荷台に作ってもらいました。魚のエサを運ぶための荷台で、冷凍車。なぜかマットレスが2つ張り付いていて、「コレで寝れば良いじゃん?(嬉」 って。若干魚くさいですが…。 エアコンつきで快適に寝ることができましたが、もともと冷凍車の気温を上げたものだから、明け方の湿気は大変なものでした。



バーニーさんは、道中ずっと何かしら話をしていました。バーニーさんには子供が3人いるそうで、バツイチ。おっきい子供は23歳。ちっちゃい子供は6歳。トレーラーは3連で、空の状態で40t。160tの荷物を引っ張れるそうで、燃費は1Km/ℓコレって良いのか悪いのか…。しかし、バーニーさんが話してくれる英語は大部分が理解できません(汗 スラングで早口なので、非常に難しい。教科書どおりの英語って、なかなか話してもらえないですね。僕が発してる英語って、英語圏の人にとってはどういう風に聞こえてるのかしら…。

2/17 バオバブ ブルーム→ホールズクリーク

1日あたりの目標を500Kmと決めて、いて、今日は600Km進んだので、一応目標達成ということで。

まず、YHAからブルーム郊外まで歩き。1.5時間ほど。

ポートヘッドランドと違い、周りに緑があるので生き物の息吹が感じられて、待ってるときに暑くても、精神的に楽です。

次にダイブさんが、R1まで連れて行ってくれた。ダイブさんはこれからポートヘッドランドへ、仕事を探しに行くそうです。死ぬほど暑いというようなことを話し合って、分かれました。

次にチャーリーさんの車に乗せてもらい、ダービー入り口までつれてきてもらいました。昨日、部屋のエアコンが利きすぎてあまり寝られなかったこともあり、チャーリーさんとの会話はあまりもてませんでした。

チャーリーさんと別れたところでは、バオバブの木が生えていました。初めて生でみた。



50分ほど待ったころ、おじさんとおじいさんが乗った車が止まり、乗せてもらえることに。おじさんのほうはとても理解しやすい英語でしたが、おじいさんのほうはまったく話が通じませんでした(汗 どうやら、学校で習う英語どおりに話してもらえると理解できるようです。おじさんの奥さんが親日らしく、かなりフレンドリーに接してもらいました。途中、フィッツロイリバーがあり、オーストラリアでNO2の川だということを教わったり、写真ポイントで止まってくれたりして、良い人たちでした。



ホールズクリークはアボリジニの町なのかな?とても数が多いです。インフォメーションで町の地図をもらいましたがパッパーの記載がなかったので、郊外にテントを張り野営しました。

2/16 ブルームの海!! ブルーム

ブルームには二晩とどまることにして、ケーブルビーチを訪れてみました。パンフレットによると世界で一番きれいな浜辺の一つ、ということが書いてあったので、興味津々。YHAからは歩いて40分ほどありました。無料のバスも出ていましたが、町の感じを知りたかったので、歩きで。ビーチについたときの印象は、砂がとても細かくきれいなビーチでした。



ビーチに侵入したルートが正規のルートではなかったので、遊泳禁止の看板がなかったのをいいことに、人目につかないところで着替えて、今年初遊泳(笑 ホントは遊泳禁止かも知れないので、ご確認ください。日本を発つ直前に購入した度入りの水泳ゴーグルは最高です(嬉 水はまったく冷たくありませんでしたが、砂が細かく波が高いので、砂が舞ってしまい、視界はよくありませんでした(泣 このあたりはインド洋になるのでしょうか。後で知りましたが、インド洋に面している浜ではサメが人を襲うということで、遊泳禁止になっているところが多いようです(汗

砂浜には無数の丸い粒粒が広がっていました。はじめは波のせいでできるものかと思いましたが、どうやら小さなカニが巣の砂を外部に出すときにできるもののようです。



ビーチからの帰り道、アウトドアのショップがあるのを発見。結構大きかったので、落としたものと同じ出納があればと立ち寄りましたが、店員いわく扱っていないとのこと。南米に行くまでには再度購入したいです。

帰り道にはスーパーもあるので、塩を買って帰ることに。実は「ピクニックソルト」というやつの容器の精度がいまいちで、振動が加わると塩がこぼれてくるので、困っています。

YHAに戻ってシャワーを浴びたら、次にセシナさんへカードを送るべく郵便局探し。インフォメーションセンターのすぐそばにありました。郵便局には色んな記念日カードやら、封筒やらが送料込みの値段で売られています。一番安い封筒65セントに、「生きてブルームにつきました」とメッセージを書き、50ドルと折鶴を同封して送りました。

YHAに戻る際、インフォメーションセンターでオーストラリアのロードマップを買って帰りました。さすがに世界地図のオーストラリア全域地図でここから先たびを進めるのはシンドイと。つか、よくここまでコレでこれました(汗 購入した地図には、距離やらHWの名前が出ていてとても便利です。



ブルーム東側の海にも行って見ました。
海の色は一見の価値があると思いますが、海岸はケーブルビーチのほうがきれいかと。クルーズに出ると違うのかもしれません。

2. Re:同じバッパーです☆

風が強くて眠れず。朝四時から行動開始です。シャワーを浴びてテントをたたみます。夜明け前ならハエが少なくて快適です。6時にポートヘッドランドR1にてヒッチ開始です。が、9時になっても交通量が少ない!というか、交通はあるんですが、どれも地元の関係者ばかりで、止まってくれる車がありません。



立っている場所が本当にR1なのか疑わしくなってきたので、歩き始めました。



するとセシナさんが止まってくれました。20Kmほど走ったところの会社に戻るというので乗せてもらうことに。道すがら散々「おろすところには何もないわよ」といわれたような気がするが、「大丈夫、大丈夫」とカラ元気。結局50Kmほど進んだところでおろされました、ほんとに何もない。セシナさんが別れ際に、「心配だから、ブルームについたらカードを頂戴」といって、$50も渡そうとするので、イヤイヤイヤイヤもらえないからといったら、「誰かから水を分けてもらいなさい」と、まじめな顔で言われますた。結局受け取りましたが、返さなきゃな…。

降ろされたところはには、ハイウェイと乾燥したステップ気候の砂漠があるだけ。正直最高気温48度をナメてました。日差しが刺さる暑さです。2時間ほど炎天下で待ちましたが、このときほど“ヤバ”さを感じたことはありませんでした。大声出してもこだますら聞こえず、水場までは50Km。幸い手持ちの水もあるにはありますが、先がわからないのでがぶがぶ飲むわけにもいかず…。テントのタープをつかって日陰を作りましたが、暑さで立ちくらみがしたのは久しぶりです。今日中に次の町にたどり着くか、ここでポートヘッドランドへ戻る手段を本気で考えました。

通る車はトレーラーばかり。近年、トレーラーは保険の関係で、ヒッチハイカーを乗せないのだそうです。これからオーストラリアでヒッチハイクをする方は気をつけてください。

結局、2時間の間に3台止まってくれ、そのうち最後がブルーム行きであるとのことで、乗せてもらいました。運転手の名前はビルさん。命の恩人です(笑 部ルームまでの600Kmを1,2度休憩を入れただけで走りきりました。途中でいろいろ話を振ってくれましたが、昨日の寝不足がたたりほとんどウタタ寝してました。ブルームはコレまでとは違い、かなりの湿気で、緑も多い感じです。

インフォメーション前でおろしてもらいましたが、またしても閉店中。



インフォメーションの開き時間がいまいちつかめません(汗 今日の寝床を探さなければならないけれど、さて困った、と周りを見渡すと、すぐそばのベンチに、ロシア人(?)パッカーが。お互い顔を見合わせ、インフォメーションを指差して「閉まってるね(笑)」と言葉を交わし、こちらの事情を言うと、彼がコレまで滞在していたブルームのバッパーを紹介してくれました。インフォメーションから10分ほど歩いたところにある、こじゃれた感じのYHA+バッパー。

6人部屋に居を構え(一人!)マッタリしていると、おじさんが入ってきた。日本人。アキオさん、という68歳。スポーツ新聞の記者を退職して、カナダで大学に通っていたけど、落第したので一人旅してるそうだ。8年間カナダに居たそうで、英語がぺらぺら。数学の単位が出なかったそうな…。アキオさんは30カ国ほど旅をしてきたらしいけれど、サハラ砂漠へ行ったことをことさら面白く聞かせてくれました。


2/14 車中のバレンタイン ダンピア→ポートヘッドランド

今日はダンピアからの移動します。目指すは近場のポートヘッドランド。野営を畳むのにえらい数のハエに襲われました。ダイブさんに聞いた観光地を見ていこうと思い、移動を開始するもインフォメーションが見つからず閉口。6時から街の中をくるくる回ったのですが、7時半になっても見つけることができなかったので、観光はあきらめHWに向けて歩き始めると、町を出た直後にインフォメーションセンターがありました。が、この日は日曜日。インフォメーションはしまっていました。土日にインフォメーション閉めるて、どうよコレ?観光地じゃないんかい!?



インフォメーションの近くで親指を立てていると、夫妻の車が止まりました。ダンピアから60Kmほどのところまで行き、彼らは内陸に仕事に行くそうです。犬が一緒に乗っていて、とても賢かったなぁ。

教会前で立っていると、歌が聞こえてきました。日曜ですからね。宗教の違いを感じます。で、2時間ほど親指を立てていると、10時ころ、一組の夫婦に拾ってもらえました。ポートヘッドランド手前の、サウスヘッドランドまで行くといいます。おばちゃんが、超ハイテンションでオーストラリアの名所を教えてくれました。が、どのコースもお金がかかります…。
道すがら、川の氾濫について教えてくれたり、300年前の建物を改装したバー(閉まってましたが…)に連れてってくれたりしました。このバーにはすごい喋るオウムがいて、おばちゃんと猛烈に会話をしてました(汗



サウスヘッドランドに着いたのはちょうどお昼時。車から出ると、猛烈な暑さを感じました。熱いdeath。
この街にはインフォメーションセンターがなく、仕方がないのでポートヘッドランドへ移動することにしました。ここから10Km程はなれているそうですが、ま、歩いてれば誰か拾ってくれるだろうと思い、HWに向けて歩き始めました。サウスヘッドランドからポートヘッドランドへ行く道は2つあり、今歩いているところから近いほうの道で親指を立てていると、1台のピックアップトラックが止まってくれました。運転手はアドレインさん。一度通り過ぎた後、わざわざ探し回ってくれたそうで。暑いからね、このまま歩いてると死んじゃうと思われたみたい(汗 いや、ほんとに命の危険を感じるほどの暑さです。



アドレインさんはオフィスに戻って昼食をとるというので、それに同行。エアコンが効いてる部屋に入ったときは“エアコン作った人、天才”って毎回思いますネ。「何か食うか?」といわれて出されたものはツナサラダ。久々の生野菜をいただきました。オフィスには他にクリスさんがいて、僕が今日、この街にとどまろうと思うことを伝えると、2人で猛烈な勢いで宿探しをしてくれました。お二人、仕事は…。後でわかりましたが、こちらの会社、鉄鉱石を粉砕して輸出する会社のようでした。まー、普通の旅行じゃ、人の会社のオフィスに世話になることはないですよね(笑 どうやら、ポートヘッドランドは観光地ではないようで、バッパーはないらしいとのこと。インフォメーションも相変わらず閉まっていて、さてどうしたものか。と、僕がテントを持っていることを知ると、空港近くにキャンプサイトがあることを思い出してくれ、電話までかけてくれました。チョー良い人たち。しばらく家族や彼女に連絡を取っていなかったので、web環境があるところにとどまりたかったけれど、ここにはどうやらnetcaffe的なものも見当たらず。ポートヘッドランド空港も、国際空港の癖にインターネットが使えず。もうね、ないものは無い!ということで、さっさとテントを設営して、久々の洗濯とシャワーに溺れるの助。

この日は車に乗せてくれたみんなに折鶴をプレゼント。みんな一様に喜んでくれるし、そのせいか、良い人にめぐり合ってる気がする。まぁ、ハッピージンクスだと思って続けていこうと思う。

2/13 シェルビーチの夜明けとご機嫌な出会い シェルビーチ→ダンピア

シェルビーチにて、ペンタシールドが風に飛ばされて、テント倒壊しました。やっぱり自立型がほすぃ。夜明けまでまだしばらくあるので、ペンタイーズだけ立て直して、星空を眺めていました。周りに何っっっにもないので、星空がすごくきれいに見えました。天の川の存在、初めて知りました(笑


明るくなり始めたので、テント、食器、荷物の片づけ、朝日が昇り始めたので、写真をパチリ。7時から立ちんぼ開始するも、2時間つかまらず。交通量が少ない!日陰がなくなってきたので、場所を変えるべく歩き始める。歩きながらヒッチしたほうが捕まえやすい気がします。同情を買える?

ということで、クリスさんに拾ってもらいました。現在21歳で、親の農場を継いだ農場主。スイス人。車が通らないので、本気でやばさを感じた。あのまま日が高くなってたらマジ危険だった。クリスさんはオーバーランダーを超えて、エクスマウスへ自動車で行くという。途中、カナーヴォンで一泊するかもしれないということだったので、同行させてもらうことに。カナーボンについたのは12時。スーパーで買い物をしたあと、クリスさんはこのままエクスマウスに行くと言い出した。僕はこの町にとどまるつもりでいたが、気が変わり次なる目的地を600Kmほど先のダンピアに設定。


しかしまー、カナーヴォンの町からHWが遠いこと。とぼとぼ3Kmほど歩いていたら、残り500mのところでピックアップトラックの運ちゃんが拾ってくれました。

R1HWの交差点で待つこと3分!! ダイブさんの車に乗せてもらえることになりました。行き先はなんとドンピシャのダンピア!このおじさん、ガタイが大きくてサングラスをしていたので、はじめは怖い人かと思いましたが、車に乗ると超陽気なおっちゃんでした。



42歳。おっちゃんにダンピアのいいところを教えてもらい、水を分けてもらいました。変わりに日本語を教えてあげたりして、かなりフレンドリーに接してもらいました。このおっちゃん多分オーストラリアでも良い人に属すると思います。途中、HWで故障車を見かけると、わざわざ止まって助けに行ってあげたりしていました。

ダンピアについたら夜の8時を回っていました。地域にあるバッパー前でダイブさんと別れ、さて部屋があるかどうかと扉を開けてみたのですが、ま、案の定満室。ほかにはバッパーはないとのこと。ハイ、野宿決定です(汗 安全な地域ということで、学校の近くの駐車場に陣取り、夜を明かしました。

ここまで経験から、以下のことに気をつけてヒッチしています。
飛行場がある街伝いにヒッチすれば、物資が安く手に入る可能性が高い
相手からよく見えるところに立つ
カーブの出入り口で、スピードを落とすところに立つ
車が止まれるスペースを考える

2. Re:さっそく

昨日、脅威の18人部屋だったみたいです。
クリスは戻ってきていないようなので、捨てられたことを確信して、一人で行動開始です。が、R1へ通じる道がわかりません。宿の前でアワアワしていると、偶然通りがかったインフォメーションのおばちゃんが丁寧に教えてくれ、でっかいコピーまでもらえました。このジェラルトンという町では、旧道と新道が並行して走っているそうで、新道は人を乗り降りさせる場所がないということなので、僕は旧道を行くことにしました。が、この旧道は住宅街と直結なため、通る車はほとんどすべて地元の人。まったくHWとしては機能していないことに、5Kmほど歩いて気がつきます。で、あきらめて新道に出ると、本当に歩くスペースがない(汗 けどやります。 オーストラリアの道には、交差点がロータリーになっているところがあり、そこに来る車はスピードを落とさざるを得ません。なので、そのロータリーから出た直後の空き地に誘導するようにたってみました。ヒッチハイクも2日目ともなると、だんだん戦略的になります(笑


で、ものの2,3分立っていると1台の、トレーラーを引いている車が止まりました。例にたがわず、この車もボロイです。クラクションの蓋がありません。どうやって鳴らすんだろう。運転手はバーバラさん。見た感じおばあちゃんなので、「あー、近場かなぁ」と思いましたが、なんとジェラルトンからカナーヴォンまで、およそ700Kmほどを運転するといいます。ということで、シャークベイの入り口、オーバーランダーまで乗せてもらうことに。僕が立っていたところが普通じゃなかったのか「ナイストライ」といわれました。このおばさん、カナリご機嫌で、世界中に家を持っているらしい。で、荷台にはパキスタンに送る家財が乗っている言っていました。しかし、この道中、自動車の調子、というか、トレーラーの調子が悪いことに気づきます。多分ブレーキ系統だと思いますが、トレーラーにブレーキがかかり、エンジンに負荷がかかりすぎて、オーバーヒートしそうになるのです。おかげでほかの車が110Kmとか120Kmとかで走っているところを70~80Km。しかも時々休憩を入れつつだったので、オーバーランダーにつくころには夕方になっていて、バーバラさんは頭を抱えてました。

オーバーランダーは世界遺産、シャークベイの入り口でこの玄関口から、実際モンキーマイアまで、50Km位あります。ここには道の駅のほかには何にもありません。真夏の原野が広がっています。ものすごく暑いです。そしてものすごくたくさんハエがいます。ハエとの戦いは、体力を余計消耗します。早く慣れたい…。

1時間に3台の交通量という母数の悪さに苛立ちを覚え、オーバーランダーから10Kmほどのキャンプ場を目指し、歩き始めたところ15分ほど歩いたときに、夫婦に拾ってもらいました。




2/11 初ヒッチハイク!! パース→ジェラルトン

初ヒッチハイク!!
シャークベイを目指す手段として、バスを考えたのだが、しょっぱなで100ドル以上消費するのもどうかと思い、ここはひとつヒッチハイクのメッカということで、行ってみる?ヒッチ?

と、いうことで、旅費を節約するために、ちょービビリながら、やるかどうするか迷いながら歩いていると、PERTH郊外ギルドフォード通りまできてしまいました。ここまできて引き返すにも、荷物を引きずる手が疲れてしまったので、いまさら戻れません。ということで実行。やっぱりここに来ても、ぎりぎりにならないと決断できないのは変わってないようです…。

道端で親指を立てること10分くらいで、幹線道路の支流から手を振るおばちゃんが。“マジデカ”という思いとともに、おばちゃんの元へダッシュ。R1 GreatNorthanHWに行きたいことを伝え、スワンビレッジまで乗せてほしいこと、ブルズブリックまでなら、なお良いことを伝え、車に乗せてもらいました。おばちゃんの名前はバーブさん。バービードールのバーブだといっていました。車には元気なさそうな男の子。名前をカイラム君。4日前に手術をしたそうで、お疲れのご様子…。そんな子連れ歩いて大丈夫なのか?

ブルズブリックで降りると、そこはエアフォースの基地の目の前でした。通る車は軍関係の人ばかり。基地の正門前では埒が明かんと思い、少し北上したところで車が止まりやすそうな空き地の前まで移動して立つこと5分ほどで一台のワゴン車がとまりました。60Kmほど離れたところまでエアコン修理をしに行くというこのおじさん、クラインさんに拾ってもらいました。が、実はこのリフトで道を間違うことになりました。

どうやらGreatNothanHWに乗りっぱなしだと、シャークベイにはつかないようだ。
ということを、クラインさんにおろしてもらった後、知ることになるのです。

クラインさんにおろしてもらったところは、ビンドゥーンというところだと思うのですが、次にリフトしてくれたおじいさんによると、「この道ではシャークベイにはいけないょ」と、そっけなく言われてしまいました。「アレ?R1に乗ってればシャークベイに着くはずじゃぁ」と思ったのですが、どうやらGreatNorthanHWは途中までR1なのですが、途中で分かれるようで、クラインさんの車の道中、それに気づかなかったようです。

この間違いを教えてくれたおじいさん、どうやら、僕が本来行くべき横行の道へ、ルート営業するようで、ついでに乗せてってやるよというので、乗せてもらうことに。銀行を退職してアルコール販売の外回りをしているそうで、僕を乗せてからも、2件ほど営業周りにつき合わされました。ビールとか期待しましたが、もらえませんでした(笑 それから着いたところはモーラという町。ここから、本来のR1へ出るためバジンガラというところまで60Kmほどあるのですが、ここでの車が捕まらない。かなりの田舎町で、車の母数が少ない。20分ほどたっていたらパトカーが止まりました(汗 おまわりさん、今 要りませんから。


1.5時間ほどして、立っていた場所のすぐ近くにある小学校が終わったようで、父兄が迎えに来ていました。すると一組の父娘がこちらに近づいてきます。歩きですが。ま、興味があったんでしょうね。東洋人が田舎町で炎天下の中何時間も立ちんぼしてて(笑

風が強くてな

で、このお父さん曰く、「サインがあったほうがいいんじゃない?」と。確かに。けど、荷物になるんだよねー。と思いつつ、「あー、そうだよねー、けど持ってないのよー」というような話をして分かれました。で、30分ほどたったころでしょうか。なんとコノお父さんが、ダンボール切り取って、作って持ってきてくれました!!ウァーマジデカ。と。で、このボードの効果がテキメン。5分ほどで、バジンガラ行きのアボリジニの夫妻が拾ってくれました。チョー助かった。

で、2重の悲しい出来事が、このバジンガラで起きます。

喜び勇んでアボリジニに夫婦と別れ、R1 のHWに立っていると、ものすごく暑いのです。冬の日本から来たからなのか、もともと暑い場所なのか。日本のようにじめじめはしていないのですが、日差しが凶器のように刺さるのです。痛いのです。「あー、このままここに立ってたら絶対死んじゃうな」と思っていたら、1台のセダンが止まるではありませんか。車に向かって猛ダッシュですよ。

そしたらこの車、後ろの小窓が割られてて社内も荒れ放題。一瞬「大丈夫か?」との思いもよぎりましたが、ここまでいい人ばかりに当たってきたため、そんな本能の警告も無視されます。運転手の名前はクリス。聞くとモンキーマイア(シャークベイの名所)まで行くといいます。バジンガラからモンキーマイアまで600kmほどでしょうか。「ついてる!今日の日付中にモンキーマイアまでいける!」と思って同行させてもらうことにしました。でも、300Kmほど走ったころでしょうか、あたりは薄暗くなってきて、ジェラルトンという町に到着したころ、彼は今夜の宿を探し始めます。僕のほうは当てのないたびをしているので宿を決めておらず、ま、ここで1泊しても良いかなと思っていました。で、ある一軒のバックパッカー宿にて、クリスは受付に行き、「俺、ここに泊まるけど、お前どうする?」的なことを言います。ここでモンキーマイア行きの足を失いたくない僕としては、「あ、じゃぁ一緒で」と。今思うとヤラシイですね。当てにしてるのミエミエじゃないですか(汗 で、僕が受付をしているときに、クリスは店の親父と、2,3言言葉を交わし出て行ったきり、戻ってきませんでした。捨てられた?このバックパッカー宿は20ドルでした。日記を書きながら落ちるほど疲れていたので、設備等の探検はしていませんが、寝室から無線は通じませんでした。

2/10 PCのリカバリ パース

2/10
異国での情報収集 PCのリカバリに思う

今日はあいにく曇り&小雨名天気です。
せっかく持ってきたラップトップの調子が悪いということで、リカバリをすることに。
eeepcは自前でリカバリイメージを持っているんで、光学メディアがなくてもリカバリできます。
できるはずなのですが、リカバリの方法がわからないので、宿のインターネットマシンを借りることに。15分1ドル。高い。結局、調査に30分費やし、2ドル支払いました。旅行中にリカバリするとは思ってなかったんで、説明書読まなかったのが災いしました。ここではついでに時計の時間あわせの方法も調べ、これでようやく現地時間が正確にわかります。

必要なデータのバックアップを取り、リカバリをすること15分ほど。工場出荷状態に戻りました。こんなところで大容量メディアが役に立つとは。しかし、ブックマークと、メールのバックアップを忘れました(泣 メールはクリティカルではありませんが、ブックマークはイタイ。

リカバリ後はアイコンが表示されるようになりました。どうやら、ワイヤレスLANの設定が壊れていたようです。近所の電波を拾っていますが、どうやら開放はされていないようです。出発前にこの状態に気づいていれば、こんな苦労しなくて済んだかもしれません(苦 「説明書をよく読め」と、彼女の言葉が思い出されます。


さて、現在、Perth駅近くの州立図書館に来ています。宿からは歩いて5分くらい。美術館の隣です。ここではネットワークが無料で使えると聞いたのですが、かなかなネットワークにうまくつなぐことができません。つか、回線が遅い?アンチウィルスソフト、ブラウザのダウンロードにかなりの時間がかかります。こりゃ、コンピュータの設定に、今日1日費やしそうな勢い(汗 といても、アンチウィルスとブラウザと、画像閲覧/編集ソフト以外、これといって必要ないのですが…。

アンチウィルス: AVG FREE EDITION
ブラウザ: GOOGLE CHROME
画像閲覧/編集: VIX

この図書館の施設はなかなか充実しています。オーストラリア全体がこんな感じなのかどうかはまだわかりませんが、1つのフロア全体を使って、6つの島に4台ずつ24台のPCが無料で使える上、多数の島で電源、有線/無線のネットワークが無料で使えます。ソファーのあるボックス席があったりもします。若干教養のない人も出入りしていて、たまに喧嘩してるみたいですが、内容はぜんぜんわかりません(汗 図書館の係員が割って入ってました。

2/9 意外に難しい毎日の更新 パース

いやー、オーストラリア、通信費が高い!
更新が滞りがちですが、ご容赦ください。

2/9
パース空港は24時間空港として機能しています。

午前1時過ぎに空港内の店が閉まるも、午前3時くらいから店が開き始め、店の前のベンチに陣取ったことが裏目に出て、あまり寝られませんでした。すぐ近くにweb端末が置いてあり、これが無料で結構便利なのですが、やはり日本語入力はできません。

前日飛行機内で腕時計の時刻を変更しようとしたのですが、操作方法がわからずうろ覚えでやったことで完全に日時と日付が壊れてしまい、マニュアルをダウンロードするも、Acrobatが閲覧できないため、直すことができませんでした(泣

すぐ隣のベンチにはやはり日本人のような方が同じようにバックパックスタイルで陣取っていました。結構旅なれた感じ…。僕もそのうちあんなになるんかなあ。

��空港からの脱出>
��時ころには明るくなってきて、お客も増えてきて周りもざわざわしてきたので、こちらも行動開始です。ヒまずは近場の地図を手に入れようと、空港内にあるインフォメーションへいき、ガイド冊子を眺めていると、おばちゃんが声をかけてきました。見るとどうやら、ガイドのボランティア。とりあえず、近場の地図がほしい、キャンプ道具が手に入る店を知りたいことを伝えると、一冊のガイド冊子を選んで渡してくれました。まだお店は開いてないけど、町の中心にはバスでいける、とのこと。空港のシャトルバス、高いんだよね(汗

“ま、空港から5Kmくらい(広域地図から予想)なら、1時間ちょっとで歩いてでもいけるっしょ”と確信し、空港ロータリーをテクテク歩いていると、後ろからやって来たカップルの車が、僕のすぐ隣に止まり何やら声をかけてくるではありませんか。「乗ってくか?」と。

うぉ!これってうわさに聞きし、「リフト」ってやつですか!?

そう思った瞬間「うん、お願い」と、行き先を言いもしないで車に乗り込む僕(笑
乗せてくれたのは、クリスさんとエリザベスさんという仲良しカップル。クリスさんは銀行員らしい。僕がこれからシャークベイを目指すことをいうと、車でいったことがあると教えてくれた。
空港からパースの中心地までハイウェイでおよそ20分くらい。後で空港でもらったガイドを見るとおよそ10Kmの距離だった(汗 歩いてたら多分2~3時間はかかっていただろう。クリスさんから、キャンプグッズ売り場を教えてもらったり、バス路線について聞いたりして、パースのど真ん中で、降ろしてもらった。ありがとうクリスさん、エリザベスさん!あんたら最高だぜ!

と、言うわけで、オーストラリアの第一印象かなり良いですょ(笑

��パースの町並み>
店が開くまで2時間ほどあるということなので、しばらくベンチに座り、人の流れを観察後、近場をウロウロしてみることに。大概きれいな町並みですね。首都から離れているのに、このしゃれた感じは何なのでしょう。
で、1~2時間ほど歩いて疲れたので、ベンチでボーとしていると今度は見知らぬ老紳士が声をかけてきました。ロームはあるかと何度も聞いてくるのです。ローム?これ、どうやらroomだったようで。僕がちゃんと推測できなかったので、会話が成立せず、老人はあきらめて立ち去ってしまいました。ごめんょ。

これを機に部屋探しを始めたのですが、どうも24ドル以下はない感じ。何件も回って価格表を見せてもらうも、20ドル以下はない。これから先の旅程もあるので、できる限り節約したいと思って彷徨っていると、16.80ドルの看板をハケーン。早速カウンターで聞いてみますが、すでに満席。あきらめてトボトボ外に出ると、店のオヤジが冊子をくれ、同じ条件で別の店がすぐ近くにあるというではありませんが。それを信じて進むも、3度道を間違え、同じところをぐるぐると。アホかと。で、ようやく見つけたところが、17ドル/night。なんと驚きの16人部屋(汗 だけど、面白そうなのでそこに決定。荷物も重かったし。2晩お願いしました。

重たい荷物をベッドにくくりつけ身軽になって、早速、クリスさんに聞いた店に言ってみると、そこはミリタリーグッズを扱うお店。見たことがない本物の銃が陳列されたりしていて、場違いかと思ったけれど、店の奥にはちゃんとキャンプ用品がおいてあった。で、日本から持参したガスバーナーを見せながら、「これに合うボンベを探してる」というと、おっちゃんが適当なものを見繕ってくれました。450gの中サイズで値段は10ドル。ま、世界的にこのサイズの値段はこんなものか。それから、これからアウトドアに備えて、米を装備したいと思い、マーケットを探すも、見つからない。パースの人は生鮮食品をどこで買ってるんだ?マーケットが見当たらないのと同時に、買い物袋をぶら下げてる人もあまり見かけませんでした。探しどころが悪かったのか、パースの人が自宅で物を作らないのかは知りませんが、エンゲル係数高そうです。
あっちこっちをトボトボ歩いていたら、アジア食材の店を発見。そこで米を買うことにしました。1Kg3ドル。

とりあえず、キャンプグッズは揃えたので、いつでも旅立てます。マジにヒッチハイクで行ってみるか?

部屋に戻ると、別の日本人が入っていました。なんとパース空港ですぐ隣に寝ていた、たび慣れた風のあの若者です。彼はワーキングホリデーで前日パースに入って、これから仕事を探すのだといい、お互いに自己紹介。ピッキングの仕事をするそうです。実は町を散歩/宿探ししているときに、彼の乗ったバスを見かけてもいました。まさか同じ宿、同じ部屋になろうとは(笑 面白いめぐり合わせです。

2. Re:おつかれさま

��/10
とりあえず、パースに到着しました。
到着した日を含めると、今日で3日目。
ようやくゆっくりPCが使える環境になったので、ここ3日間の出来事について順に掲載します。
とりあえず生きてます。ご心配をおかけしました。
まー、3日間でいろいろあり、初リフトも経験しました(汗

2/8
��序章>
関西国際空港で一夜を明かして香港経由でパースに向かいます。
朝、これまで来ていた冬服を、夏装備に変えました。フリース、長袖シャツは関空トイレで廃棄。
初外貨取得。三井住友銀行窓口で、とりあえず2万円→230豪ドルに。これで食べる分は大丈夫でしょうと。
キャセイパシフィックのカウンターにて、oneowrldを予約したときの空路一覧のプリントアウトと、パスポート提示。預けるものは預ける。ヴィクトリノックスノアーミーナイフとか、髭剃りとかの金属類は、なるべく全部預け入れ荷物にした。裁縫セットなどもだめと聞いていたので、この手の“小道具系”は、もう全部預け入れ荷物。
が、しかし、手荷物検査のときに、ズボンベルトの金属で引っかかりました。ズボンのウエストサイズがぜんぜん大きいので、ベルトははずしたくなかったんだけど…。飛行機乗るたびに引っかかるとなると、ズボンウエストを修正することを考えないけませんね…。

��パースへ向けて、出発! >
結局、飛び立つ直前まで、「これから世界一周するんだ」というはっきりした実感のようなものは、持っていなかったのですが、座席に座って飛行機が離陸して、大阪の夜景が見えたとき、「あぁ、もう1年間ここには帰ってこないんだな」と思ってものすごい不安と孤独?みたいなものを感じて、涙が溢れてきたのには、自分でも驚きました。

関空ー香港では特に変わった事件なし。
機内食が出たのですが、ご飯が生っぽかった。

香港での乗り換えは結構面倒でした。乗り換えの看板に沿って歩いてましたが、3方向に分かれていたので、とりあえず人の多いほうにオッカナビックリ流されていきました。香港乗り換えの前にも荷物検査があり、手荷物は大丈夫でしたが、衣服に付属しているものはことごとく引っかかりました。キーホルダー、ベルト、腹巻サイフの金属、普通のサイフ、ポケットに入れていたバファリン…。もうね、裸にされるかと思いました。
乗り換えの待ち時間、ラップトップを使おうと思っていたのですが、ネットワーク開放していないのかな、ワイヤレスLANにつながらない…。と、周りを見渡してみると、ほかの人はラップトップ使っている人もいる…。そういえば関空のwifiも拾えなかったし、もしかして僕のコンピュータ個体がおかしいのか?と、思い初めて不安に…。けど、ここではどうすることもできず、パース行きの飛行機へ搭乗。
キャセイパシフィックの香港ーパース間では、エコノミークラスでも以外に座席が広く、7時間弱という長旅でしたが、意外に快適に過ごすことができました。
ここで、弱問題発生。機内で渡されたカードへ情報を記入する際、所在地を記入することができず、ブランクのまま提出。入管のおばちゃんに「大問題?」ときくと「そうね」と、即答…。まさかこれくらいのことで、強制送還はされないだろうと思って、タカをくくっていましたが、大問題と聞くと結構ビビリます(汗 今日はどこに泊まるのか、今後どうするのかなどを聞かれ、結局入国スタンプを押してもらえました。が、カードのブランクだった箇所にはなにやら意味深なことをかかれました(汗 このカウンターを抜けたところで再び別の係官から、パスポートとイミグレのカードの提示を求められ、見せるとまた、今日はどこに泊まるのか、これからどこへ行くのか、オーストラリアには友達はいるのか、何しにきたのかと、あれやこれや聞いてきました。このおばちゃんが一番めんどくさかった。






結果、無事荷物を受け取れ、オーストラリア入国を果たしました。
「来ちゃった、オーストラリア」感と、「疲れたな」感が入り混じり、というところで終了です。

関空から 中継.。 出発前に思うこと

昨日、広島からバスで移動。現在関空です。
関空着が22時。出発は翌10時なため、12時間ステイ(笑 前評判通り、0時になると、空港内のおまわりさんがその辺にいる乗客に一人ずつ声を掛けて廻ってました。僕もパスポートの提示と、行き先を聞かれました。

空港ベンチに荷物をくくりつけて寝ました。
隣で寝てたオッチャンのいびきが五月蠅くて早速耳栓が役に立った(笑
多分、これから1年はこんな生活が続くんだろなぁ。
ま、良いんだけど。

水の確保、大事だよね… 携帯浄水器の有用性について

「あったらいいなが揃ってる」
どっかで聞いたキャッチだな…。

明日の出発を目前に控え、追加購入したいモノが出てきました(汗

それは、水筒型浄水器!!

<セイシェル浄水ボトル>
こないだハンズの防災コーナーでたまたま発見。フィルターの使用期限も1年間ということで、「お、良いかも」と思ったんだけど、8000円くらいだったかな?価格に引いてその場は要検討事項へシフト(笑

けど、安全な水の確保は、コレまでずっと考えていた課題なのです。海外ではペットボトルの水が安価に売られているとはいえ、毎日買うのも面倒だしなぁ。大体オーストラリアとか南米とか、アメリカとか、広大な土地で水が飲みたくなったときに、都合よく自販機があるなんて考えられないし(汗

ハンズで手にとって箱の裏の説明文を眺めてみましたが…、どんだけ汚染された水飲むつもりだよコレ!!(笑 けど、試験のデータを公開してたりするところがちょっと好感度UP。軍隊や赤十字で採用されているというところもちょっと信頼性UP(笑

アメリカで買えば3000円位なのになぁ…。アメリカ行くの半年後だけど(笑 同社製下位ランクの5000円くらいのモノを世界一周に持っていき、お腹を壊さずに済んだ、と、実録記事もあって、購入に気持ちが揺らいでまつ。参考→コテコテ世界建築探訪

(同日追記)





と、言うわけで、無い力を振り絞って買ってきました。東急ハンズで7980円ですた。
ここに来て予定外の出費は正直キビチィ(汗
時間があれば5000円台のヤツ↓でも、濾過の方式は同じだと思います。




500ml ペットボトルとの大きさ比較です。
高さはほとんど同じ。胴が太いですね。





有機物質、無機物質の濾過テスト結果が添付されているところが自信の表れ?(下の画像で大きく見えます)
放射性物質とか、ダイオキシン群とか、ずいぶん汚染された水でも効果ありそうな感じ。そんなヒドイ所の水は使わない予定ですが(汗 個人的にはO-157のほぼ100%濾過できるトコロが、とってもうれしい(笑

$WhiteApple

ということで、水の心配はコレでなくなったと信じよう。